私感仏教論Vol.6ー12 呉智英著『つぎはぎ仏教入門』をさらにつぎはぎ 輪廻からの解脱
「輪廻」とは
輪廻はもとも古代インド文明から引き継いだものであり、仏教にとって、もっとも宗教的な思想と言っていいでしょう。
輪廻は「永遠の生命」ではなく、「苦しみの連続」である。もし、100%生まれ変わりが、魂の数だけ宿主である肉体が存在するはずであるが、決してそんなことはない。まるで、輪廻は繰り返し、繰り返し訪れる無限地獄かのようである。
徳子は最後御念仏を唱え、極楽浄土に往生するのが確実になる。
ちなみに六道とは
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地獄
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餓鬼
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畜生
三善道
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修羅
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人
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天
この無限に続く、この苦しみの連鎖から脱出するのが、解脱である。ちなみに神々の国である「天界」に行っても、寿命は千年で尽きる。結局は苦しみが待っている。
ちなみに、これから外れるのは「外道」と言われる。
リンク貼っておきますね。
ここで描かれる「火の鳥」永遠の生命の象徴。
しかし傍観者である。人間の愚かさを俯瞰して見ているだけである。しかし死ぬことができないという”逆の苦しみ”が存在しているようにも読み取れる。
それに対して、解脱ができないで輪廻転生を繰り返し、苦しみの連鎖の中にいるのが猿田彦なのであろう。彼は「無明」の象徴なのか?漫画では何度も生まれ変わり、いつもひどい目にっている。彼は一体何をしたのであろうか。
釈迦は「解脱」を果たした。それは秘法であるとか、魔術ではなく「智慧」によって「解脱」したいうのである。
「輪廻の苦しみ」とは釈迦の入滅後、『ミリンダ王の問い』で述べられる。釈迦のこの問い対して「執着の生」から脱することが輪廻の克服であると述べる。
すなわち。輪廻の苦しみの「縁起」は「無限に永続する自我」という迷いなのである。
その苦しみから逃れるためには「無我」という概念が必要にある。
ではまた次回。