私感仏教論Vol.8 成仏しなければ斬る❗️
「己、迷ったか!成仏せい!成仏しなければ斬る!」
「死んだ人間は切れないでしょう?」と思わずテレビに突っ込んでいた(笑)
さらに、五エ門に斬って貰えば、成仏できるなら、是非斬っていただきたい。
まさに「仏になるショートカット」。
日蓮だって、まだ菩薩です。
『牡丹灯籠』でも幽霊封じの為に仏像とお札をもらうのですけれど、「あれ?仏教に死者を葬る力はありましっけ?」(笑)。そういえば『耳なし芳一』でも幽霊退散に僧侶が登場しますよね。
これが仏教に興味のない日本人の一般的な仏教のイメージかもしれない。
答えは釈迦の教えなのだよ。
ではこっち向いて読経してよ!正論かもしれない。今までの常識に囚われていた。
阿満利麿著『仏教と日本人』の「はじめに」が興味深い。
『寺』
- 音読み「じ」のちの正式に出家した僧侶たちが修行する場所
- 訓読み「てら」死者の骨を埋められている場所
『仏』
- 音読み「ぶつ」中国語で「ブッダ」を翻訳するのに、その発音に漢字を当てただけ。「目覚めた人」という意味はない」という意味はない
- 訓読み「ほとけ」「先祖」とか「死者の霊」
私は大乗仏教として定着して、空海や親鸞をまるで哲学者や、思想家のように扱われることが間違っているとは思わない。私自身も日本の高僧を思想家や活動家、さらには美術家のような目で見ている。さらに五木寛之の『親鸞』をエンターティメントとして楽しみました。
しかし、ここまで現実生活と乖離してしまったのは如何なものなのか?
言葉や、習慣として日本の仏教は生活に密着している。世界でももっとも宗教的な民族とか言われながらも「私、無宗教ですから」というのはやはり悲しい。
きちんと釈迦の教えのアウトラインでも良いから、きちんと教育しないといけないのでしょうか。私は提案します!