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私感仏教論Vol.6ー11 呉智英著『つぎはぎ仏教入門』をさらにつぎはぎ 縁起とは?

縁起とは?仏教の中核
 
「縁起」とは釈迦の思想、すなわち仏教の核である。
これは呉氏だけではなく、さまざまな書籍でもそのように述べている。
 
評論家である宮崎哲弥氏は著書『仏教論争』の中で「仏教の始点」と述べる。
私が持っている仏教の解説本や入門書の多くでやはり、「縁起」を仏教の始点であり、中核と定義つけている。
 
即ちそれだけ大切なことであると、共通の認識なのである。
 
「縁起」とは物事には原因があり条件があり、その結果が起きる、という思想である。
 
人は生まれるから、老いる、病にかかり、やがて死ぬ。即ち、それぞれが原因となり、結果になっている。
 
この言葉を聞いて、「当たり前だろ」と言う人は初めから私たちの話を聞く気がないか、ただの馬鹿なので無視しましょう。これは重要ですよ!真面目に相手をすると疲れます。お腹が空きます。
 
「縁起」と「因果」、「因縁」は同義語である。これがある意味、面白い。なぜか、これらの言葉は迷信とか土俗的な信仰と結び付いているからである。
 
「下駄の鼻緒が切れると縁起が悪い」
「親の因果が子に報い」
A.T.ブッチャー対テリー・ファンク 因縁の対決」(笑うところですよ、知らない人は連絡してください)
 
改めて思うのであるが釈迦の論理、「縁起論」は非常に科学的。釈迦が「阿含経典」で解いた十二縁起には決して土俗的な伝承は出てこない。加えて、人間観、世界観が典型的に現れている。
 
十二縁起をそれぞれかきあげる気はない。しかしその最初には無明と記されている。
無明:無知。明るくないこと。迷妾の中かにいること。

 

そうか!無知が我々を苦しめる根本なのか!