読書の話📚VOL.34−2 柳澤健 『1964年のジャイアント馬場』
文庫本とはいえ、追加原稿も含めて780頁。
表面上は知っている話が中心とはいえ流石に骨が折れました。
ジャイアント馬場は私にとっていまだにヒーローです。ここでのヒーローとはウルトラマンや仮面ライダーと同義語です。
世界の強豪と闘い、日本のプロレス守るヒーローそれがジャイアント馬場でした。
例え、アントニオ猪木がタイガー・ジェット・シンと死闘を繰り広げ、他の格闘家と戦っていても、私には猪木の叫ぶ世界は何処となく嘘のように見えた。むしろ武骨にいかにも悪役というレスラーと流血戦をするラッシャー木村の方が猪木よりも魅了された。
猪木、木村よりもジャイアント馬場が創り出す調和の世界に私は魅了された。
ニューヨークのレスラー以外、世界のトップレスラーが集結する世界最強タッグ決定リーグ戦はプロレスの曼荼羅に見えた。
今回そんな大好きな馬場さんが色々と苦しんでいた。しかもアメリカのトップスターに上り詰めた馬場は力道山が支配する日本マット界に帰ってくるつもりは無かった。
この事実は衝撃だった。
もし日本プロレスが消滅しなければ、38歳で引退してハワイで悠々自適に暮らすつもりだった。この話は知っていたけれどもその理由が巨人症から来る老化であって馬場はそれを理解していた。
「調和」を大切にするような印象だった馬場ですけれども、実は個人主義者だった。だからチームスポーツの野球よりもプロレスの方が性に合った。意外だったけれども納得しました。
物語の終盤、全日本プロレスの経営者として時代とギャップが出てきて、どうすれば良いかわからなくなっていった。
そんな馬場は晩年になり、初めて人の話を聞こうという姿勢になってはじめて経営の面白さを知ったという。
この章は好きだす。
最後になりますが、ジャイアント馬場の三大ライバルのひとりと言われるブルーノ・サンマルチノ*1は「馬場はアメリカ人にとってのモハメド・アリと同じ。常に尊敬の的であった」と語っている。
確かに日本人が人間的にこんなに愛したスポーツマンはジャイアント馬場と長嶋茂雄だけかもしれない。
ジャイアント馬場というレスラーと同時代に生き、プロレスが好きになったことを神に感謝します。