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連続テレビ小説『エール』 最終週「エール」

誰が悪いわけではありませんが、コロナ禍で放送は短縮されました。
しかも、もっと絡むはずだった小山田耕三役の志村けん氏の死去。これはスタッフにとって誤算だったハズ。
 
この話数短縮が吉とですか、凶と出るか?あえて言わせてもらいますけれど、私は吉と出たように思います。
 
「最近のドラマが、、、」とか言ってもほとんど見ていません。しかし日本人のドラマの質が明らかに落ちてきたように感じます。
 
比喩には直喩、暗喩の二つの技法がありますけれど、両方だめになったような印象さえうける。
 
その象徴が橋田壽賀子文化勲章受章ではないでしょうか。
 
渡る世間は鬼ばかり』を見てみてください。パロディのように、見ている人を馬鹿にしているかのような長台詞がこれでもかと延々と続く。「お前ら理解できないだろうから、ちゃんと口で言います」的な脚本。一度見たことがありますが、「コントか」と思いました。それもオチのないコント。それをずっと付き合わされる身にもなってみろよ!
 
「朝ドラ」シリーズ後半にはじまる恒例の人との別れ。通常ではひとりひとり丁寧すぎる、むしろ饒舌にクドクドと描くだけれど、今回は放送話数が減った分、モノクロの写真があります。「お前ら理解しろ!」的な演出。嫌いではありません。
最終週はこれまでの二人の思い出をフラッシュバックしながら、話は淡々と進みます。
 
華ちゃんの結婚式、オリンピック、仲間たちの交友、劇作家池田との別れ。このあたりの進行は「朝ドラ」の定番ではあるけれど、テンポよく演出は進む。
 
実質的な最終回、119話では小山田耕三の懺悔の手紙、それを受け入れ許した、裕一。
そして若く音楽家を志す広松寛治との会話。まるで宗教家の師弟の問答のように進む。
「これまで人の力になる音楽を沢山、作ってきた。これからは自分のために音楽を奏でたい」いい台詞です。
 
音の最後の力なく歌う。そして「海がみたい。あなたと出会った頃のように歌を歌いたい」。よろよろと歩き出す二人。そして最後の浜辺でのシーン。「あなたに会えて良かった。出会ってくれてありがとう」。いいシーンだな。黙っても涙が溢れます。
 
最後にコロナ禍のため、思うように進まなかったかもしれません。ひょっとしてそれが演出にいい方に出たのかもしれない。
 
音楽を通して、夫婦愛、戦争と平和全体主義。そして人を煽ってしまった贖罪。
 
考えさせるテーマがあまりにも多い作品でした。最近の中ではベストではないでしょうか。
 
最後にあのコンサート。完全版やりませんか?