私感仏教論Vol.6ー14 呉智英著『つぎはぎ仏教入門』をさらにつぎはぎ 『自灯明法灯明』
「我」には実体がないと考えるのが仏教である。
ウパニシャッド哲学は釈迦以前のインドの思想で「秘義、秘説」という意味だそうです。
文献には「梵我一如」の秘義が解かれている。
しかし釈迦は「我」を否定した。「我」に執着することが、「無明」を生み出す。実体のない我に執着することが煩悩を生み出し、様々な束縛を生むことになる。その無明を消し去ることものが「智慧」だと考える。
のちの大乗仏教では
諸行無常(あらゆる現象に恒常的なものはない)
諸法無我(あらゆる存在に不変の本質はない)
涅槃寂静(煩悩の炎を消滅させれば安らぎの境地に至る)
小乗仏教では少し変わります
一切皆苦(煩悩の世に置いては全てが苦である)
日本史も恒久的な権力はありません。よく馬鹿な政治家が「世界で一番古い、神の国」とか言っていたけれど、天皇家が政治の中核にいた時代はどのくらいあったか?そ考えてみれば面白い。そもそも我々は有限であり、我々そのものに実体がないと説くのである。
そして有名な一節「自灯明法灯明」の教えになる。釈迦の実体のない「我」への執着から覚めろ。法すなわち真理をより所にしなさい。
これは現代の「自分」、「自分探し」からすでに答えを出しているように思える。やはり、釈迦の教えは真理なのです。
これぞ、真理だ!