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読書の話📚Vol.21 日本人と象徴天皇 「NHKスペシャル」取材班

象徴天皇とは?
 
昭仁天皇が「生前退位」の意向を明らかにした時、メッセージの中に「象徴」という言葉が八回も登場する。*1
 
「象徴天皇」とは何か?もちろん日本国憲法からきているが、「こうあるべきだ」という答えはない。昭仁天皇は「象徴天皇」として即位した初めての天皇であるが、そうあるべきなのか?昭仁天皇が出した答えは国民の「範」となり、自らの行動を律することと考えたのであろう。その行為が「天皇の務めとして、国民の安寧と幸せを祈る」である。「国民主権と恒久平和」日本国憲法の二つの部分を行動で示した。「被災地へのお見舞い」や「戦没者の慰霊」は文字通り実践だったと私は思っている。
 
「怪しい新興宗教の筆頭は国家神道」だから日本人は宗教的な民族であるにも関わらず、「無宗教であると宣言する」という持論を立証したい。そう思い、最近、天皇論を読みはじめました。
と言っても、盲目的な天皇賛美や、天皇戦犯論はあまり読みたくない。特に、竹田恒泰の本など読む気はない。「天皇の継承は義務。徴兵制と同じ」という暴言を吐き、「「天皇陛下」万歳を大声で叫びはするが、天皇陛下ご自身の個人的な意見には一片の関心もない。」という人間が書く天皇論など、とても読む価値があるとは思えない。むしろ「左派」で徹底的に否定する人の書籍の方が読む価値があるのではないでしょうか。私はそのように思います。

 
さて、日本史の本を読んだり、NHKの歴史番組*2を見る限り、承久の乱、後醍醐天皇以外、平家滅亡以降天皇は影の薄い存在となる。御簾の中にいるだけで、政治権力は殆ど、奪われてしまっている。
 
余談になるが、大河ドラマの『麒麟がくる』で、御所の壁が戦乱で壊れるが、修理する金がないからそのままだったというのは朝廷に金がなかったのは本当らしい。さらに江戸幕府になると、さらに力を奪われ、本当にお飾りになった。歴史の”IF”であるけれど、後水尾天皇の中宮になった徳川和子が男の子を産んでいたら、天皇家は完全に徳川家の手中に落ちていていたかもしれない。
 
明治維新後、明治政府によって西欧の王室を模範として、明治天皇を元首という政治、軍事のトップに祭り上げた。猛々しい「政府の長」にされてしまったのが悲劇のはじまりだったと思っている。今、自称「右翼」を名乗る人たちが声高々に言っている日本の伝統である「皇室典範」、「万世一計」とか「皇歴」が定められたのが明治政府設立以降である。
ʅ(◞‿◟)ʃ お手柔らかに。
 
日清戦争でボコボコにされていれば、一回植民地にされていたかもしれないけれど、太平洋戦争の悲劇はなかったのではないかと本気に考えています。
 
昭和天皇を利用する
 
GHQが何故、天皇を残したのか?昭和天皇の権威を利用して民主化をすすめるためである。日本人には急激な変化を好まない。もしアメリカの世論調査通り、天皇を処罰していたら日本人はおそらくゲリラ戦を挑んでいたであろう。マッカーサーは来日前に日本人の急激な変化を好まないことを理解していた。
 
 
天皇の権威を削ぐことは当時としては軍国主義を解体することであった。
自分の意思か、否かは別として昭和天皇は自ら神格化を否定して、国民の民主化に指導的な役割を果たしていく。
とはいえ、昭和天皇は生涯「戦争」を起こしたこと、多くの日本人を殺したこと、戦後でさえ、アメリカの占領下に置かれたこと等。昭和天皇自身、生涯「罪と罰」に苦しめられてきたのであろう。「本土を守る為、沖縄を切り捨てた」ことには生涯苦しめられる。
 
象徴としての皇太子、天皇
 
激動な時代、当時皇太子だった、昭仁天皇の言動は振り返ってみると最初から象徴、国民の「範」になることを意識し、覚悟していたに違いない。沖縄訪問はその現れだと思う。火炎瓶投げつけられても、逃げなかった。
 
最近、天皇関係の本を読んで見ると、いかに昭仁天皇は強い人間だったのか。そして国民の安寧を祈っていたのかよくわかってくる。
 
真の強さとは、鉄砲担いで戦うことでない。
 
昭仁天皇の「鎮魂の旅」を通じて「本当の強さ」とは、「祈り」とはを改めて考えさせられる。まだまだ勉強不足です。
 

  

 

*1:(『日本人と象徴天皇』まえがきより)

*2:(因みに私はNHK以外の歴史番組はそのほとんどが面白くないので、例え小和田哲男監修でもまず見ない。)