特撮の話 ウルトラマンA 大いなる試行錯誤
ウルトラマンAは大いなる失敗作品?
そこで応援というか、便乗というか💦
『ウルトラマンA』の私感をこのブログでアップします。
当時は第二次怪獣ブーム。
しかも『仮面ライダー』2号編が人気絶頂。
まだまだ変身ヒーロー、怪獣が出ればそこそこ視聴率を得ることができましてが、それこそ玉石混合。今見ると、ナンジャコリャみたいな作品も多く発表されました。
川内康範作品の『レンボーマン』と言ったドラマに重点をおいた佳作も発表されましたが、子供も騙されないような、子供だまし作品も多々見られました。
この流れは『マジンガーZ』の人気が爆発し、特撮変身ものにかわり、ロボットアニメが主流になる1974年まで続いていきます。
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男女ふたりで変身
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異次元人ヤプールというシリーズ通しての敵
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怪獣に代わる超獣が出現する
おそらくこの四つでしょう。
放送当時、現役でテレビに齧り付いて応援してたのですけれども、この新機軸ははっきり違和感を感じました。
ウルトラマンにどうやって変身するかが、視聴者に対してひとつのお約束だったのが更に条件が難しくなった。
しかし、この新しい企画がいかに斬新だったのか!
そこそこ年齢を重ねて、再放送でやっと気がついた😅
むしろ同時期にはじまった裏番組『変身忍者嵐』にスライドしていった人は多かったみたい。共食いというやつですね。
そう考えると、やたら先輩方がゲストで登場したのが腑に落ちる。あれは視聴率のテコ入れだったのです。
『ウルトラマンA』のメインライターを務めた市川森一(1941−2011)は長崎市出身のクリスチャン。この本によるとクリスチャンではあるけれどもカソリックでもプロテスタントでもないそうです。純粋にキリスト教の教義に対して純粋な信仰である。
市川氏が設定した敵、ヤプールとはあくまでも概念上の悪。彼らは地球征服とか明確な目的は物語上明記されなかったと記憶しています。本来、仏教でもそうであるがキリスト教でも悪魔という存在は破壊者ではなく、人を惑わすもの。修行、信仰の邪魔をするもの。人間の心に存在するものである。
例えば第四話『三億年超獣出現!』でヤプールは人間の心に入り込み、その憎しみが実体化して超獣にある。そんな人間の心に挑戦する敵は子供たちはわからない。
当時の子供が言っています。
されに、男女の合体変身。性を超越して完璧な超人が生まれる。これがまた理解できない。ウルトラマンAが弱々しい印象を受けてしまう。しかも何かあると先輩が助っ人に来る。第七艦隊と同等の力量があるはずのウルトラマンAがなんか弱く感じてしまう。
しかもこの男女合体は脚本、演出をやたら制約してしまう。
隊員が主役になる話は多いウルトラマンシリーズであるが、もちもん主役は変身するひと。
これが二人を中心で動かさなければならない。これを毎週、毎週一話完結で話を作らなければならない。これは大変です。
結局、実は月星人だった夕子ちゃんは月に帰っていき、退場させられる。*1
夕子ちゃんの代わりにダンと名乗る汚いガキが出てきて、ウルトラ六番目の弟を勝手に襲名して、更にトーンダウンします。これは『帰ってきたウルトラマン』の家族路線を復活させようとしたのですけれども、思いっきり滑ります。この辺りかな?わたしのウルトラマンに対する興味がいったん失せるのは。
結局生き残った設定は先輩たちがゲストに来ること。
まあ、この反省が『ウルトラマンタロウ』になると生かされるけれども、あまりにも話が幼稚化してしまう。そのアンチテーゼが『ウルトラマンレオ』なのですけれども、これがまた迷走。中途半端な作品に終わってしまう。あまりにも残念!
ウルトラ兄弟のお面を被った子供たちが弱いものいじめをするというショッキングな画像。知っていてけれども見たくなかったものを無理やり見せつけて、子供番組から手を引きます。
もし、最初の設定を最後まで通して、半年程度の長さの作品を作ればもっと評価の高い作品になっていたと思うのですけれども、残念です。