読書の話📚Vol.16 上坂 昇著『キング牧師とマルコムX』
DHC会長のこの発言に対して、怒りを覚え、野中広務、幸 淑玉著の『差別と日本人』を取り上げました。
そのブログの最後で「『キング牧師とマルコムX』やる」と宣言しました。気がついたら、二週間以上たってしまいました。申し訳ございませんでしたm(_ _)m
日本人は昔から「差別はありません」と言っていました。しかし、「臭いものに蓋をしろ」であるとか、「見て見ぬふり」の言葉の通り、ずっと、差別はないことにしていましたが、『差別と日本人』で述べた通り、日本人の差別意識は大変根深く、目を覆うものがあり、陰湿なものがあります。
日本経済が弱体化し、失われ続ける現在、日本人の「根が陰」的な差別がどんどん表面に出てきました。いわゆる『「日本すげ〜」病』です。悲しいけれど、日本は経済、精神両面とも抜かれてしまいました。中国は日本なんて相手にしていません。しかし、いまだにアジア諸国に対して教育する立場にあると勘違いしている。きっと、「日本すげ〜病」患者にとっては屈辱的なのか、現実を見て見ぬふりなのか。
加えて、コロナ禍では感染者に対して、あたかも穢れのように扱う。これはかつてのハンセン病とか、公害病の患者にした態度と同じです。他府県の自動車ナンバーを自粛警察として嫌がらせをする。これを自衛のためにやっているのだから、さらに嫌気がさす。
2020年、ブラックライブマターの問題が起こってしまいました。コロナ禍でたまる両者のストレスが爆発した形なのかもしれません。しかし驚くべきでしょう。この事態に一部の日本の差別主義者は「黒人が白人に逆らった」とか言っていました。一体いつの人なのでしょうか?私はわかりません。
実は、私の卒業論文は『黒人公民権運動と文学』の研究でした。その時でさえ、「日本人が黒人問題を取り扱ってどーするの?」と友人に言われました。今から、30年前はむしろ「見て見ぬふり」だった。しかし当時は「そんな人がいなくなるよう」にと願っていました。何も変わっていない。
いまだに極東の薄汚い黄色い豚の分際で、平気な顔をして「黒ンボ」という人が存在する人間がこの世にいることが驚きだった。
まだ、学生が終わってばかりでしたので、右から順番にようと言うやつです(笑)。しかしあれだけの書籍は再び書店から消えてしまった。日本人は先のブラックライブマターを非難する人たちはこの時、一冊も読んでいないのでしょう。いや、むしろ劣化してしまったような気がする。
二人の黒人指導者
上坂 昇の『キング牧師とマルコムX』は1994年上梓。当時としては、両者の比較論は画期的な書籍であった。学生時代から是非、こうゆう論点の本を是非欲しかった。日本人はなぜか比較論が苦手である。
著者は二人をこの書籍で「アメリカの光と陰をいきた二人の黒人指導者」と評している。よく二人は都会と地方、暴力と非暴力と比較される。ここでそれぞれ、論じる気はないが、ここで根本を述べます。
キング牧師は白人の善意を信じていた。
マルコムXはアメリカ人である前に黒人であった。
両者ともアメリカで黒人が生きることを望んだ。生きるための平等を主張したんである。当然の行為である。
マルコムXは第三世界を中心にインターナショナルな視点で世界の有色人種の統合を求めた。
私が学生時代、黒人問題に興味をもち、賛同したのかこの主張でした。日本人は本来、有色人種であるにも関わらずに、名誉白人のような態度を取り、アジアの各国を下に見る日本人に「怒り」を感じていた。
さらに調べてみるといまだにアメリカの支配下、言いなりになっているこの現実。その怒りはアメリカのWASPにもむきました。そういわゆる共和党です。その怒りは今でも変わっていません。しかし日本人のアメリカ様主義は変わっていません。
今回のBLMの問題に対してアメリカ黒人として抗議する大阪なおみをバッシングして、何か利益を得るのか?誰に褒めてもらえるのか?どんな思想、心情なのか?
わからない!
キング牧師の博愛主義があれば決してそんなことはするはずがない。
こんな時代だから、いや、いまだに黒人暴動が起きる時代だから、私たちは二度とキング牧師とマルコムXを歴史に葬ってはいけない。まだまだ、彼らから学ばなければならない。悲しいかな、60年代アメリカよりも部分的には劣化してしまった部分もあると自覚していないといけない。
我々、日本人は決して名誉白人なんかではない。欧米から見れば「極東の薄汚い黄色いブタ」であることを忘れてはいけない。