音楽の話♫Vol.15 Yardbirds ① 総論
いよいよYardbirdsを取り上げます。
そこで、Yardbirdsの過小評価を是正する一助なればと思い、数回にわたりブログで取り上げます。よろしくお願いします。
若い人たちは意外かもしれないけれど、日本ではThe Who や The Kinksのカタログが揃わなかった時期がありました。不当なくらいに人気も評価も低い存在でした。学生の頃「The Whoの大ファンです」というと「へ〜?どんなバンド?」そんな反応でした。
長い間ロックファンをやっていると、お国柄というか、その国によってかなり音楽の趣味は異なることがよくわかります。
ロックではありませんけれど、演歌は日本人好きの、その最たるもの。昭和、それも一般化したの戦後。五木寛之の小説によって「艶歌」として定着したにもかかわず、あれを「日本の歌」だと言いきる人たちがかつては確実にいました。確かに民謡や小唄の影響下にあるのは間違いありませんが、思ったよりも新しいもので、数多いヒット曲のおかげで力づくで「日本の代表する文化に仕立て上げた」と言っても過言ではありません。
日本ではリズムよりもメロディを重視する傾向があります。独自のリズムが土着しているのも関わらず、西欧音楽の戦慄や叙情的な物をよしとします。そう考えると、日本でもQueenやEL&Pなどが受けるのはよくわかります。(個人的にここでQueenのことを語らせたら、喧嘩になりますのでやりません。大人なら察して下さい😁)
それに対して、今回取り上げるThe Yardbirdsなんて日本にちゃんと紹介されたのは、CD化が進んだ90年代かもしれない。確かにロックの歴史本には取り上げられましたけれど、「『世界三大ギタリスト』が所属した伝説のバンド」で終了。道場ですか。Rainbowのレパートリーの"Still I'm Sad"を聞いて、「歌詞がついている!」さらにはボーカルのKiethが下手だとか、言われたい放題。
ソリャ、後に、Jeff BeckやJimmy PageのバンドでボーカリストになるRod StewartやRobert Plantと比べれば、たいていの歌手は下手ですよ💦だけれど、あのポップな楽曲にはKiethの声がマッチしています。
さらにPaul Samwell-Smith のコンポーザーとしての能力の高さを正当に評価しないといけません。Paulがいた頃の楽曲がいいのはちゃんと、KiethのKeyに合わせた作曲をしていたことも無関係ではないでしょう。
60年代、ロンドンで青春を過ごしたピーター・バラカン氏の『ピーター・バラカンのわが青春のサウンドトラック』(2004)を読むと当時のロンドンの熱がよく伝わる。加えてカオスのように色々な音楽があることがわかる。50年代に怒涛のようにアメリカの音楽が流れ込んで消化され、自分たちの音楽を発表したのが60年代。私も60年代ロンドンのあのエネルギーが大好きです。
YardbirdsはThe Rolling Stonesの後釜でクラブのレギュラーになったのが63年。これでもわかると思いますけれど、かなりの演奏の腕前と黒人音楽の解釈、憧憬が高かったことを容易に想像できる。
もちろんEric Claptonという当時としては腕利きのギタリストがいたのは事実ですが、Kiethのかっこよさも絶対に考慮に入っていたはず。
バンドは
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真摯にブルースサウンドを追求していた Clapton在籍時
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バンドのポップ化 Clapton脱退 Jeff Beckの参加
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Paulによるオリジナルサンドの追求
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Paulの脱退、Jimmy Pageの参加
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Jimmy Pageに主権移動 バンドの崩壊 Led Zeppelinの登場
時系列的にはなりますが、この流れにそってバンドの話を展開していきたいと思います。
在籍したメンバーは以下の通り。
Keith Relf Vocal Harp
Jim McCarty Drums
Paul Samwell-Smith Bass
Chris Dreja rhythm Guitar Bass
Tony 'Top' Topham Guitar
Eric Clapton Guitar
Jeff Beck Guitar
Jimmy Page Guitar Bass
次回もよろしくお願いします。