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😸以文会友 以猫輔仁😸

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私感仏教論VOL.6ー4 『つぎはぎ仏教入門』さらにつぎはぎ④ 「魂」とは何か

いや、、、ひどい本に当たってしまった。詳細は『読書の話Vol.10』に書いてあります。
まあ、この本にもひょっとしたら良いことが書いてあったかもしれませんんが、どーでもいいです。

読書は人生を豊かにして、そこから学びがないといけません。この著者からは、「あなたの本は読む価値がないということを学びました 」反省の材料として、保有するか、資材の再利用ということでゴミ箱にポイ🗑するか悩むところです。

と、友人からのTwitterに答えています。
 
同様に、宗教も学問、哲学の一分野であると考える限り、成長の一助にならなければならいと考えます。
私には時間がないのだよ!
 
さて、今回は「魂」の問題に触れたいと思います。
 
宗教とは「死」という絶対的な虚無への対抗として生まれた。「死」の克服が宗教の中核部分である。全ての宗教を知っているわけではないが、おそらく葬式をしない宗教は存在しないであろう。それほど人間は「死」というものに畏怖があるといって良いであろう。
 
では、「死後の世界」とは何か。「死後の世界」の究明こそが宗教にとってもっとも重要な課題である。地獄や天国、浄土という考えも「死後の世界」の具体的説明である。死んでしまったら、「ハイ!それまでよ」はあまりにも無責任であり、なんの究明にはならない。
 
「魂」という概念
 
人間は進化の過程で大脳を極めて進化させた。その脳は目に見えない「無限」という他の動物にはない概念を生み出した。それが宇宙であり、精神であり、死そして魂であると思う。
肉体は滅んでも、「魂」は不滅で会ってもらいたい。そういった希望いや、願望に近いものと考える。キリスト教文化圏では長く、日本でいうところの土葬であった。「魂」が帰る場所がないと困るからであると思う。吸血鬼に杭を打ち込むのは復活させないためなのだ。仏教は火葬にする。肉体は単なる入れ物だという考え、それに対して「魂は不滅だ」という考えであろう。
双方とも魂は不滅であってもらいたいという希望、むしろ願望と言って良いだろう、
 
肉体が死によって失っても、「魂」が他の肉体で再現すること、これが「輪廻」という概念であろう。
 
やれやれ、結構エネルギーを消耗します。また次回。