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読書の話VOL.5📚 『日本人はなぜ無宗教なのか』 阿満利麿

私感仏教論Vol.1でも述べた通り、子供の頃、国柱会の町道場にいたからなのか、仏教をはじめ宗教に対して違和感はありません。私自身、文学部出身ですので、「聖書」は当然のように本棚の肥やしになっている。

子供の頃から、宗教には「教えてもらうもの」、「学ぶもの」という意識があり、抵抗感はありません。

 

現在、私は仏教を中心に宗教に大変興味のある人間です。何か特定の宗派の修行をしているわけではありません。とは言っても、決して趣味の対象のみの存在ではありません。

実際、在家出家をしたいけれど、どの宗派にするか未だに決めかねている。妻はいい加減なもので「日蓮宗は飛沫が飛びそうだから、やめてね(笑)」と言っている。

 

しかし、無宗教を標榜する人は思ったほど政治と宗教の話は御法度という人間は驚くほど多い「?」。

 

無宗教を標榜するなら、外にあるお地蔵様を蹴ってみろ!

 

今回読んだ本は阿満利麿の『日本人はなぜ無宗教なのか』。阿満氏は明治学院大学の名誉教授で専攻は日本宗教思想史である。文書は平易だが、確信を突くものが多い。しかも中立的な学者という立場をとっている(しかし親鸞に傾倒しているところがあります)ので好きな筆者の一人である。

 

この本によると、日本人全体の7割が「無宗教」と答えるわりにはそのうちの75%は「個人的には無宗教だが宗教心は大切だ」と答えている。私はごく一般的な日本人だった。

それに対して海外の場合「無宗教」だなんて言ったら、そりゃあもう大変ですよ!

 

一神教の世界で、宗教だなんて言ったら大変ですよ。心の無政府主義、アナーキストみたいなものです。異教徒なんて罪人です!

 

筆者は「創唱宗教(特定の人物が特定の競技を唱える)」と「自然宗教(自然発生的な宗教)」と明確に分けている。そして日本人にとって、風俗や習慣となってしまった宗教は「宗教」ではないという思い込みがある。すなわち日本人は「自然宗教」は宗教ではないと考えている。

 

葬式仏教はともかく、日本人はなぜ生活に宗教が密着しているのに、無宗教を標榜するのか。狂信者はともかく、どうして「創唱宗教」に対して嫌悪感を持つのか。

 

私は常々、仮定を持っていた。

幕末から怒涛のように海外から文化が入って来る。経典が存在ことを理由に八百万の神という日本古来の考え方は一神教の西洋からは否定される。だけど今更「ナザレ」の神を信仰できない。そこではじまったのが「天皇崇拝」である。政府は「天皇崇拝」を力尽くで強制される。キリスト教の「神学」ように天皇を神聖化される。

 

それを戦後、「天皇人間宣言」によって否定することになる。「やってやれるか」ってことになりませんか?

 

本書では私の考えは肯ある程度、肯定されている。やった!私は間違っていなかった!

 

筆者はこれを「痩せた宗教観」と表現している。やはり「自然宗教」の部分も必要である。

 

筆者は、宗教とは人間がその有限性に目覚めた時には活動を開始する、人間にとって、最も基本的な営みだと述べている。

 

まさにその通りだと思う。

 

宗教は心身ともに人間を豊かにするものである。そのように考えています。